言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

自己主権

 人間は自由であるというけれど、実際いたるところで人間は自由ではない。そもそも生まれた時点で好き好んで生まれてきたわけではないし、なにせ資本主義社会の落ち目の時代に生まれて、少子高齢化で若者の福祉負担額は増加、自己存亡をかけた企業間競争によって仕事量は増え、有給もロクにとれない日本によくも生んでくれたな、と両親を呪いたくもなるが、生まれてしまったものは仕方ないし、死ぬのも辛いし、じゃあどういうふうにして死ぬまで過ごせばいいのか、と誰かに問いたくなる。明治時代に問屋制家内工業からマニファクチュアになって、同時に資本主義が日本にやってきて、まあその頃にくらべれば今は全然マシなのかもしれないけれど、小林多喜二の『蟹工船』が未だに読まれたりしているのを見ると、資本主義が抱える問題は今後も肥大し続けて、結局僕たちはどこにもいけず、金がほしい、金がほしいと言いながら、(うまくいけば) 年寄りになるんだろうなと思う。

 

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鳥取砂丘

 とてもじゃないけど、人生は自分の思い通りにならない。「自分が自分の人生の主役」とどっかの誰かが言ったようだけれど、とても自分の人生の手綱を引けるような気がしない。人生は突如暴れ馬のように走り出して、とんでもない場所に自分を連れていく。他人や周りがつくる流れに従順になるしかないときもある。自分は自分の人生の主導権すら握れていないし、ともすればどっかの誰かが、自分の人生の主導権を握っているような気もする。

 

 そのまま誰かに主導権を握ってもらったまま、安心して人生を送れたらそれはそれで楽なのだろうけど、周りの人の話を聞いているとそうもいかない。企業が倒産したり、勤めた先がブラックだったり、人に騙されたり、人に利用されたり、流れ着いた先がとんでもない場所だったということが往々にしてある。高度経済成長期のような「大企業に入れば人生安泰」という幻想も崩れ、学生闘争のときのような改革の理想もどこにもなく、個人の生活にまでせまってくる社会問題も解決の糸口さえ見えず、ただ目の前の現実に耐えるしかない閉塞感。一体誰がこんな世の中にしたんだと問うても、責任者はどこにもいない。

 

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倉敷

 しかし、一歩ずつやるべきことをやり、なすべきことをなさない限りは、いつまでも辛いままだ。時代や社会のせいにするのは結局のところ思考停止で、自分が変わらないことには自分の生活の向上はない。

 

 アウシュビッツのユダヤ人強制収容所に入ったV.E.フランクルは、人間の生死が運命の悪戯によって決まる状況を目の当たりにして、以下のような言葉を残した。

・・・・・・人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。(『夜と霧』p.112)

 どんな状況にいても、自分がどのような人間になるかという精神上の自由だけは、すべての人間に残されているというのがフランクルの考えで、まさにこれは至言だと思う。ましてや自分たちのいる場所はアウシュビッツでもなければ、それと肩を並べるほどに自由が奪われているわけでもない。

 

 もしこれが人間に与えられた生まれながらの権利だといえるなら、行使しなければ権利を持たないのと一緒だ。どんな状況にあっても、できることは常にあるのであって、もはや絶望している暇などない。目の前の生活から楽しみや学びを勝ち取るも自分次第で、そこに一定のルールや方法があるわけではない。自分が周りの環境を利用し、自分自身の人生の主権を守りたいならば、それを奪おうとする諸力に自ら立ち向かうしかない。

 

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出雲大社

 たとえば、スマホをいじってる時間をちょっと短くして本を読むとか、音楽を聴くとか、周りには見えにくい小さな、具体的な変化から始めて、「ただ耐えるしかない状況」に戦いを挑んでいく。小さな変化を積み重ねて、まずは自分の生活を変える。社会や他人に文句をいうのは、あくまでその後にしたい(と常日頃思っている)。

ポケットにファンタジー

ポケットにファンタジー

ポケットにファンタジー

  • ニさち&じゅり
  • アニメ
  • ¥250


ポケットにファンタジー」という曲をご存じだろうか。

 今は昔、現在でいう20代前半がまだピカピカの小学生のころ、初代アニメ版のポケモンのEDであった曲である。これが色んな意味でエッモエモのキラーチューンであり、その歌詞内容は、ママが子どもに「もう一度子どもに戻ってみたい」と話すというものである。見るからに重そうである。というか、普通に重い。

 Apple Musicを導入してから、知らない曲や古い曲を聴く機会が増えた。そこにたまたま落ちていたのが、ポケモンのOP・ED楽曲集だった。僕はこの楽曲を、10年強ぶりに聞いたことになる。

 

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【東京・高尾山】

 僕がこれを初めて聞いたのは小学校低学年だった。そのころの自分は例に漏れず、「早く大人になりたい(夜更かしができるから)」と言っていた子どもだった。「早く大人になりたいの♪」と少女がいう歌詞の始まりは、まさに少年の頃の自分自身だった。

「もう一度子どもに戻ってみたい~♪」

 そんな少女に、ママはいう。重い。絶対そんなことを子どもにいうもんか。さらに、ママはこう続ける。

「昔私がまだ子どもだった頃~♪

ポケットに入れてた たくさんの宝物

いまでも時々、顔をのぞかせるのよ~♪」

「それって、ピカチュウ?」

「さあ、なんでしょうね?」

 「昔のこども今こども  ポケットの中には誰だってファンタジー♪…」

  ママの重々しい懐古には、10年後もポケモンを残したいというメデ○ア・ファクトリーの野心が垣間見えなくもないが、実際ポケモンは今も残り続けているし、当時僕達を熱狂させたルビー・サファイアのリメイク版が発売された十数年後を生きている。結婚した同級生もちらほらいることだし、「ポケットにファンタジー」を親の側から聴くことになるのも時間の問題だ。

 小学校の夏休みのプールの授業が終わり、中学・高校の部活動が終わり、いくつかの淡い恋が終わり、数々の現実を前に子どものころ抱いていた夢が消えた。ママの気持ちの裏側に透けて見えた得体の知れないエモは、僕たちが辿ってきたプロセスそのものだった。

 さて、僕たちのポケットの中にファンタジーは残されているだろうか。ポケットをひっくり返しても、せいぜいスマートフォンくらいしか出てきそうにない。

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【東京・高尾山】

 今や自分たちのポケットには、ゲームボーイでもピカチュウでもなく、タッチパネル式の薄型ディスプレイが入っている。それはいつも新しい情報や刺激を連れてきて、日常の隙間を敷き詰めていく。ゲームは原則無料の課金制になり、小学生でさえ親が機種変更をした後、用済みになったスマートフォンをいじっている。

 ファンタジーがポケットからこぼれ落ち、代わりに雑多な情報でポケットが満たされて、今やその流れは小学生にまで及びつつある。ゲームはストーリー性がなく、細切れで、刹那的な興奮に満ちたアプリケーションとなっている。重厚なストーリーや根気強く取り組むゲームが消えたとはいわないまでも、以前とくらべて少なくなったような気がする。

 友人関係が原因で学校に行けなくなったとき、僕が逃げ込んだのはゲームの中のファンタジーだった。ゲームや小説、映画が作り出すファンタジーは、時として現実に打ちひしがれ、にっちもさっちもいかなくなった僕らの最後の逃げ場所となる。雑多で脈絡のない情報がもたらす鈍い刺激――誰それが不倫したとか、何をどうすれば人生上手くいくみたいな安逸なライフハックとか、そういったものに踊らされるだけでは、到底僕たちが救われることもないのではないか。

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【大阪・USJ

 ファンタジーから醒めれば、僕たちの前にはさして変わりばえのない現実が待っていて、結局のところ、虚構というのは脆弱で無力な存在でしかない。現実を変えていくのは実直で泥臭い自分の行動だけで、ファンタジーに逃げ込むことは物事の根源的な解決にはならない。

 それでも、ファンタジーという僕たちの安息の場所があるということ、とりわけ、人が誰かのために脳汁を搾り出して紡いだ世界が自分の傍らにあるというのは、本当に心強いものである。大好きなファンタジーがひとつあれば、僕たちは強大な現実を前にして、少なからず自分を保つことができるのではないか。

 そんな物語を、いつもポケットにいれておきたいものである。

 

 

 

con passione

 ここのところ、図書館に籠って授業の予習をしたり、修論用の何やら小難しい本を読んだりしているが、本を開く度にわからないことが増えていくような気がする。自分のおつむが徹底的に足りないし、なんとなれば知識を得ようとする自分の意欲さえ頼りないものだと思ってしまう。

 駅の地下構内を速足で歩く。やたらでかい荷物(PCや文献の入った、非効率さの塊みたいなノースフェイス)を背負って、1.5倍くらいの速さで仏頂面をしながら歩いている男がいたら、それは多分僕である。一人でいるときは終始何やらイライラしている。もはやイライラがデフォみたいな感じになっている。

 

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【埼玉・巾着田

 かといって、他人にあたりはしない。ほぼ(いつも)自分に対してイライラしているわけで、他人はほとんど関係ない。人が抱えている問題はいつも個人的なものだし、最終的には当人が解決するしかない。難解な問題は腑分けをして、小さくても行動に落とし込み、それで自分が抱く問題や負担が軽くなることを祈る。毎日がその繰り返しで、終わりはない。無限に続く螺旋階段を登っているようなもので、ガンジーが昔「死は救済だ」といったようだけれども、僕はそこまで人間ができていないから当然そのようにも思えない。螺旋階段から無事降りる方法は、生まれた時点で既にない。

 順当にいけば、僕の年齢だと社会人2年目を迎える歳だ。自分がまた学校に通い始めたのは至極まっとうな理由があったからだが、たまにSNSやら何やらで流れてくる「文系大学院生はみじめだ」的な言説にはさすがにイライラする。言うやつも大概だが、黙っているだけの奴にもイライラする。文科省も「人文科学系学部を減らして、職業教育を」などと言い出す始末で、確かに人文科学の重要性を声高に主張しなかったアカデミズム側の怠慢も否めないが、そういった無理解みたいなものには特に最近敏感にイライラしている気がする。

 

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【京都・高台寺

「所詮どうにもならないから、なりゆきに任せよう」みたいな空気がどこかしらに跋扈していて、一人の無関心と怠慢が、張力でひっつく水滴みたいに大きくなって、結果的に社会の閉塞につながっている。石川啄木の言葉でいえば、長年「二重の生活」を送り続けた負債が、じりじりと段階的な小爆発を起こしている気がする。例えばそれは「原発」や「労働問題」といったようなマクロなテーマから、職場や学校で為す自らの一挙一動といったようなミクロな範囲まで及ぶと思う。段階を得ずに間違った人の指導をしたり、長時間労働をほのめかすような発言をしてしまったり、無意識の狭間を突いて、大きな問題は確実に身の周りにまで忍び寄ってくる。「大きな問題と自分は関係がない」とか「難しすぎてわからない」という姿勢をとる人間に限って、実はかえって問題の側に加担してしまっているのだ。

 大きな問題について、もはや仕組みのレベルで「他人の苦難に構っている暇はないし、自分にはどうすることもできない」という怠惰が内包されている。ほどほどに他人と距離を取り、自らの責任を負おうとしない人間が徳をしたり、他人を助けようとする人を、物の道理がわかっていないと馬鹿にするやつもいる。他人を小馬鹿にするのに、そのくせ要点を掴むことだけうまくて、なぜかおいしい思いだけをする人間が少なからずいる。

 

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【東京・高尾山】

 学部時代の先生がイタリア語の「con passione」という言葉についてしきりに語っていた。「passione」はラテン語の「patire」を語源としていて、「痛みや苦しみを受ける」の意味があり、「con」と結びつくことで「参加すること」「自らの情動や力のすべてを振り絞っての熱意」という意味になる。何かを理解し、また変わろうとするときは、少なからずそういった姿勢が必要であると教わった。

 誰かを出し抜いたり、軽んじて地位や自身を得ても、その実が伴わないならば何の意味もない。身を削ってでも、今この瞬間に身の周りの人に尽くそうとしている人が報われないのでは、一向にいたたまれない。文学に転向した今でも「con passione」という言葉がイライラの隙間からやってくるたびに、もう少し頑張ろうと思う。

文章を書くこと

 紆余曲折を経たが、4月から文芸創作のできる大学院に進学する。小説や随筆を書いたり、互いに批評し合ったりするようなゼミ(今のところ、そのように理解している)に入る予定である。
 

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【東京:御岳山(ロックガーデン)】
 専門として追及するくらいだから、さぞかし普段から本を読み、毎日小説を書きまくっているのだろう・・・と思われるのかもしれないが、実のところをいえば、僕は本を読むのも文章を書くのも、あまり好きではない。友だちとワイワイ飲んで騒いだり、SNSやアニメをボーっと眺めてダラダラしたりする方が好きである。本を読むにしろ、文を書くにしろ、一番最初に思うのはほとんど「面倒くさい」である。本当は狂ったように本を読み、文章を書き散らすのが創作家なのかもしれないが、正直にいって、普通に仕事をして、その対価として金をもらう方がよほど簡単で、気楽で、かつ楽しい。
 アルバイト先に恵まれていることも一理あるとはいえ、僕は文芸に対して諸手を上げて好きとはやはりいえない。僕は文芸で身を立てようとは思っていないし、僕にとって文章が命をかけるほどに重要な人生の要素とは思えない。普通に働きたいし、普通に遊んでいたいし、金だってほしい。いい靴を履きたい。いい鞄がほしい。いい飯を食い、いい部屋に住みたい。本当は長時間労働がどうとか考えたくない。週末に気の置けない友だちとワイワイやっていた方がよっぽど楽しい。
 

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【京都:京都タワー
 実は、高校に入るまで恐ろしく本を読まなかった。それまでの主たる読書経験は、明日の用意をするときに手に取った国語の教科書をダラダラと読んだり、現代文の課題で出ていた「読書感想」的なやつで、見栄を張るために多少の本を読んだりしたくらいである。
 活字を追うより、ダラダラ自分で考え事をした方が楽しい。本の前に拘束されるという感覚が、今でも好きになれない。特に作家の文体が合わないと、5P読まずに本を投げてしまう。文章など書かずに、頭の中で「文章以前のほわほわしたもの」をこねくりまわしていた方が楽である。たまに「書きたい!」という熱烈な衝動に駆られるものの、いざキーボードを叩いたり、ノートに向かったりすると、「あれ、俺何書きたかったんだっけ」となる。見栄を張って少し背伸びをした文章を書こうとしたり、知らずに自分の気持ちと違うことを書いていたりすると、あっという間に袋小路にはまる。文章が続かなくなる。読むも書くも文章と向かいあったとき、自分は丸裸にされ、一切の薄っぺらな虚飾や才能の無さが白日の下にさらされる。思い出したくない出来事が頭をよぎる。部屋には自分しかいないのに、別に誰かが見ているわけではないのに、なぜかすごく恥ずかしくなる。誰かの本や文章を読む度にひどく感心し、その後で自分の文章を見て「ああ、これはやっぱりアカン」と思う。
 

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【京都:北野天満宮
 それでもなぜ大学院まで行くのかと問われれば、等身大の自分を日の下にさらすことで、自分の弱さと怠惰と闘うための手法を磨こうと思ったからだ。文章を書くという行為は自分自身の姿を再確認するという営みであり、もっと踏み込んでいえば、伝えるべきタイミングや表出すべき機会を失って凍りついた言葉や感情を、意識の端から少しずつ削り出して、元の流れに帰す営みである。行く宛を失った言葉や感情を少し元とは違う形で解釈し、意識に還元していく。自分自身の至らなさを見るより、存在意義を失った自分の感情に振り回されて人生を空費するほうがよっぽど苦しいから、膿を切るように向き合う。文章を書くことは手法であって、目的ではない。消化不良の思い出に囚われがちな自分が善く生きるための戦い方であり、素手で空を掴むようなあがきであり、生存戦略である。小説を書くようになったのも、随筆的には書けない物事があったからで、なるべく人に伝わるようにするための工夫の延長である。
 

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 【東京:高尾山】
 辛い思いをしても、そうして出来上がった文章というのは、やはり自分にとって大切なものだ。文章を読んだり、書いたりすることでしか出会えないものがある。
  大学卒業をしてから今までで、短いものと長いものの二本の小説ができた。短い方は何人かの友人に見てもらった後に小さな文学賞に応募し、長い方は現在校正中である。長い方は大学院のゼミに持ち込んで、メッタメタに批判されて鍛えてもらおうと思う。作りも粗雑で、登場人物の会話は薄く、情景描写は白々しく平坦だが、それでも大切な自分の文章なのだから、書いた責任は最後まで負うつもりである。
 そうした長いモラトリアムの先に、周りの人と楽しく働き、適度に酒を飲み、嫌なことがあれば互いに励ましの言葉をかけあう生活があればいいと思う。その日々の隙間に、苦闘の末の副産物として、自分の文章が他の人への「色々あるけど、まあ頑張ろうや」という小さなメッセージになればいいと思う。

 

長い無駄足

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 【三重・二見浦】

 記憶の中の印象深い場面や風景は、既にそれ自身が生命力を持っている。独特のにおいや情景に裏づけられた記憶は、気づかぬうちにすくすくと自分の頭の中で育っていって、ひとつの捏造された世界を作りだす。例えば二見浦の海岸や、熊野古道の鬱蒼とした木立は、当時聞いていた音楽と共に強烈な印象をもって思い出される。そのときは、なぜか合唱曲を聴くのにハマっていて、「方舟」という歌集の「夏のおもひに」という曲が紀伊半島のテーマだった。

 

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【京都・地蔵院】

 何も旅行だけではなくて、ふと何気ない瞬間の光景をやけに覚えていることもある。夏のある暑い日の昼下がり、幼稚園前の住宅街を子どものころに歩いたのを覚えている。住宅街の一角に、乾電池の自販機の横から自分の背を二つ重ねた分くらいの高さのアーケードが伸びていて、「ここはなんだろう・・・?」と不思議に思ったのだった。

 大学の長い夏休みに思い立って幼稚園付近の住宅街を散歩したが、いくら周りを歩いてもそのような商店街は見つからず、結局思い過ごしだったと思ってそのまま帰路についた。3m程度のアーケードなんて考えてみれば低すぎだし、子どものころの記憶などあてにならない。きっと何か夢でも見ていたに違いない。

 

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【和歌山・紀伊勝浦港】

 忘却の流れに抗って頭の中に残り続ける記憶は、時としてありもしない過去を作り出す。何も場所だけではなくて、離れていった人や過ぎ去った出来事も、大切な記憶であればあるほど独自の世界を作り上げていく。「あの頃は・・・」「あの時のあいつは・・・」などと言い出しては憧憬に浸ったり、懐かしんでみたり、悲しんでみたりする。記憶というよりは、思い出といった方がいいかもしれない。

 それは一種の慰めでもあるのだけれど、時としてその思い出の作り出す世界から抜け出れなくなることもある。触れるだけですぐに壊れてしまう構造物なのに、時に四方八方から思い出を眺めて、何やら大切に思ったり、自らの現在を左右するほどに重大なものだと思ってしまう。やたら学生時代が輝かしく思えたり、前に付き合っていた人が懐かしく思えたり、日々の隙間に様々なことを思い出すけれど、決してその世界に足を取られたり、深く入れ込んではいけないと思う。

 

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【埼玉・巾着田

 思い出と自分の関係を見極めて、また適度な距離を取って、肥大した虚妄に惑わされず、大切にすべきものはきちんと大切にする。その営みは決して簡単なものではなくて、時として長い無駄足や、独自の方法論が必要となるのかもしれない。他人から見ればすぐ踏み出せる一歩が、当人にとっては果てしなく長い道のりで、「なんで~しなかったのか」とか「もっとよいやり方があった」とか思うけれど、たぶん大変に思った分だけ得られるものも多いし、歩いた分だけきっと脚力はつく。

 まあ、実際はどうだか知れないけれど、そういうことにしておく。

旅歩き記:長楽寺編

「毎年一人旅に行ってます」と言うと、申し合わせたように「おすすめスポット教えて」と言われるので、何個かピックアップして文章に起こしておこうと思う。第一回目(何回続くかわからないが) は、事あるごとにオススメしている長楽寺である。

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 丸山公園付近の有名な神社と言えば、大体八坂神社知恩院が有名なスポットである。八坂神社の朱色の灯篭に彩られた参道や、知恩院の規模感などを考えると、多少長楽寺が見劣りをするのもわからなくはない。第一、長楽寺は丸山公園の南東の奥に位置し、公園を歩きまわった人ではないと見つからない。

 長楽寺の魅力はそこにある。京都と言えば、JR西日本の「そうだ、京都行こう」のCMが非常に有名である。紅葉に色づく寺社の境内が映し出され、サウンド・オブ・ミュージックのマイ・フェイバリット・シングスが流れる。見ていて非常に京都に行きたくなるCMであるが、ひとつ留意したいのは

京都をCMほど静かに回れるはずがない

ということである。人でごったがえす寺社仏閣ほど趣のないものはない。俗世間と割り切った空間を求めて来ているのに、寺社仏閣で人まみれになるのは御免である。

 そんなアナタにおすすめなのが、長楽寺である。

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 そんなわけで、長楽寺には人が来ない。とにかく人が来ない。注意すべきは、木曜日が拝観をやっていないということだが、実は参拝はできるということである。木曜日は長楽寺が所有する文化財や庭園を見ることができないが、右手の小さい入口から境内に入ることができる。庭園を見れないのは確かに痛いが、その代わり静かに境内を巡ることができるので、それはそれでオツである。

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 長楽寺の境内には平安の滝と言われる場所があり、「功徳水(はっくどくすい)」と呼ばれる名水を飲むことができる。滝の前にあるひしゃくで水を飲むわけであるが、毎回滝の水をダイレクトにひしゃくで受け止めて飲むべきなのか、樽に溜まった水を飲むべきなのか一瞬迷うのだが、毎回前者を選択する。滝は結構な落差があるので、ひしゃくで水を受け止めるとビチャビチャと跳ねる。成人男性がひとりで水をビチャビチャやっているのはなかなかに不気味な絵面だろうが、その迷いや何やらを吹き飛ばすほどおいしい水である。なんでも「八種の功徳」があるとか。那智で飲んだ水もおいしかったが、それと同じぐらいのオツさに浸れる。

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 拝観をやっている日は、500円で庭園と文化財を見ることができる。おすすめなのは庭園であり、和室の縁側から庭園を眺めることができる。あまり人がこないということもあって非常に居心地がよく、寝たりTwitterをしたりして、休むことができた。線香のにおいに包まれながら、きれいな庭園を見つつ過ごす。非常に良い。「日本文化万歳」とか何とか言いながら、人が来ないばかりに寝そべっていた。本当にすみませんでした。

 

参考HP

weblog.morichan-central.com

http://www.flooring-sangyo.com/meisui/hakkokudoku10.html

「今までで一番良かった御朱印は」

趣味で御朱印帳をつけていると言うと、
 
「今まで行った場所の中で一番良かった御朱印は?」
 
と聞かれる。僕は考えこむ。「御朱印」という意匠自体の良さについて言っているのか、お寺全体を含めた上で良さを測るべきなのか。考えた挙句、質問文の行間を読まないでおこうと思って、「どこの御朱印もさほど変わりはない」と答えた。龍安寺の御朱印が単に「石庭」と大きく書かれた変わり種であったことを覗けば、どの御朱印も味があって良く、文字がウネウネしていてよくわからないものほどなんかいい、というのが一応の客観的な解答にはなるだろうか。

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 【京都:平安神宮
 質問の意図を前者としてとらえると、「どれもさほど変わらない」という結論になるが、後者としてとらえた場合、途方もない旅の思い出を聞かせることになる。御朱印は端的にその場所に行った証になるし、自他共に旅の思い出を振り返るときに大きな入口になる。本来御朱印とは修行の一環として霊場を巡り、自ら書いた写経を納めるという宗教的な意味がある。本来の意味に従えば、僕の納経帳の使い方は実際正しくない(注1) が、やはり行った証がものとして残ることは、過去の思い出を振り返るときに非常に頼もしい。「~に行った」という経験と今現在の僕の間には、本質的なつながりがない。特に一人旅の思い出は、自分が覚えていなければなかったことと同じになる。
 過去とは考えてみればかなり曖昧なものである。そういう中で、自分が行った証が手元に残っているというのは、やはり非常に頼もしく感じる。

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【京都:知恩院
 行った証なら写真でもいいのではないかと反論する人もあろう。実際、御朱印をやるのはなかなか金がかかる。御朱印自体でももらう際に200~300円のお金がかかるし、納経帳自体だって、1000円を下ることはない。少々野暮な話になるが、僕が集めた御朱印は43枚であるから、天竜寺が200円だったことを考えると300×42+200×1+1500=14300円は御朱印代に費やしたことになる(計算しなきゃよかった)。少し足を出せば、今持っている一眼の短焦点レンズが買えるわけだが、それでも御朱印には写真にはない魅力がある。それは、御朱印が「人の手によって実際に書かれている」ということである。
 大きいお寺だと御朱印を書く人が何人かいて、当然人によって御朱印の筆遣いが変わる。また、規模の小さいお寺だとおばあちゃんとかが細々とやっていることもあって、たまに二言三言会話をすることもある。熊野古道にある那智山青岸渡寺で、同じ天台宗の寺院である地元の川越大師喜多院の話をしたり、尾道の千光寺でおばちゃんにお守りを買わされそうになったり、小さな発見やエピソードに繋がることが多い。御朱印は人からもらうものであるというのが、確かに小さな差異ではあるが、見知った人がいない土地を旅行する際に大きな意味を持つのである。

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【三重:二見浦】
 今一度、自分の御朱印帳を見返してみる。一番良かった場所はどこか? あまり有名でない神泉苑か、無難に伏見稲荷大社か、伊勢神宮か、出雲大社か・・・・・・。そう考えるとキリがないが、今回は二見興玉神社をあげようと思う。二見浦は「夫婦岩」で有名なスポットであり、縁結びにご利益があると言われる。今思えばそんな場所になぜ男一人で行ったのかは謎だが、広大な海と神社が織りなす情景と、海辺の街が持つ独特の雰囲気は、未だに不思議な魅力を持った思い出として自分の中にある。明日になると、また違う場所が良かったと言い出すに違いないが、それぐらい御朱印は多くの魅力ある場所と自分を引き合わせてくれた。

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【三重:二見浦】
 少なくとも、一人旅に出るには十分な理由になる。ウェイサークルなどに入るなどのリア充になる機会をとことん避け続け、あまり多くの友人を持たなかった大学生時代の良き思い出である。

 

注1:前述の通り、御朱印というのは仏教的意味を帯びており、修行僧が霊場を巡って写経を納めた証としてもらうものである。だから、「寺社に行った証」としてもらうのは本来の意味とはかけ離れたものであり、ツーリズムの一環として解釈するのに嫌悪感を催す人もいる。実際、京都の西本願寺東本願寺はそのような理由から御朱印をやっていない。