言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

慕情の根

人を想うには、エネルギーが要る。強く想えば想うほど、想いをより遠くへ届けようと願うほど、「想い」は自らの中にも食い込み、内側から身体を締め付けていく。草木が上へ、上へと伸びようとすれば、それと同じだけ地中に根を深く這わせなければいけないよ…

過ぎ去った人

ひとり旅をしていると、いなくなった人たちのことばかり浮かぶ。知らない街のバスや電車に揺られているとき、宿で寝る前に今日あったことを文章にまとめているとき――ひとりでいると、もう自分のもとにはいない人のことを考える。 京都・鞍馬寺 自分から距離…

無理はせずに

努力すればするほど成功する確率が上がっていく――これはおおよそ正解だと思うけれど、おそらく真実ではない。たとえばすでに一定の水準のようなものがあって、自分の努力はそれを超えているか否かで成功/失敗が決まる――これを「水準モデル」と名付けたとき…

「対話」を仕掛ける人

対話になっているようで、なっていない「対話」がある。場に意見を出すことが双方に開かれていると見せかけて、実際はそうなっていない「対話」がある。 人が自分の意見を伝えようとするには、それが受け入れられる余地がなければならない。自分の意見が伝わ…

ゆとりについて

世間一般にいえば、私はいわゆる「ゆとり教育」を受けた者のひとりであるが、自分の学校生活を思い返してみたとき、はたして日々に「ゆとり」があったのかどうかは疑問である。むしろ日々は雑事に満ち溢れており、塾にいったり部活動をしたりと、何かと忙し…

他者と自己への意識について

人に今以上の労力を出させようとする文句――たとえば、「俺が若い頃は~」等の若手をたしなめる文言――が横行し、正当的な効力を持つような場においては、下手をすると過剰なほどに人的労力の拠出を要請し、電通の自殺事件のような労働問題に発展する。管理の…

自己の目撃者

自分は自分の最良の理解者とは限らないが、少なくとも最大の目撃者ではある。自分は「自分」という人間の中から、終止「自分」という人間を見ている。観察している。生まれたときから「自分」の運営を義務付けられ、なぜだか今日まで行きながらえている。稀…

自己主権

人間は自由であるというけれど、実際いたるところで人間は自由ではない。そもそも生まれた時点で好き好んで生まれてきたわけではないし、なにせ資本主義社会の落ち目の時代に生まれて、少子高齢化で若者の福祉負担額は増加、自己存亡をかけた企業間競争によ…

ポケットにファンタジー

ポケットにファンタジーニさち&じゅりアニメ¥250provided courtesy of iTunes「ポケットにファンタジー」という曲をご存じだろうか。 今は昔、現在でいう20代前半がまだピカピカの小学生のころ、初代アニメ版のポケモンのEDであった曲である。これが色んな意…

con passione

ここのところ、図書館に籠って授業の予習をしたり、修論用の何やら小難しい本を読んだりしているが、本を開く度にわからないことが増えていくような気がする。自分のおつむが徹底的に足りないし、なんとなれば知識を得ようとする自分の意欲さえ頼りないもの…

文章を書くこと

紆余曲折を経たが、4月から文芸創作のできる大学院に進学する。小説や随筆を書いたり、互いに批評し合ったりするようなゼミ(今のところ、そのように理解している)に入る予定である。 【東京:御岳山(ロックガーデン)】 専門として追及するくらいだから、さぞ…

長い無駄足

【三重・二見浦】 記憶の中の印象深い場面や風景は、既にそれ自身が生命力を持っている。独特のにおいや情景に裏づけられた記憶は、気づかぬうちにすくすくと自分の頭の中で育っていって、ひとつの捏造された世界を作りだす。例えば二見浦の海岸や、熊野古…

旅歩き記:長楽寺編

「毎年一人旅に行ってます」と言うと、申し合わせたように「おすすめスポット教えて」と言われるので、何個かピックアップして文章に起こしておこうと思う。第一回目(何回続くかわからないが) は、事あるごとにオススメしている長楽寺である。 丸山公園付近…

「今までで一番良かった御朱印は」

趣味で御朱印帳をつけていると言うと、 「今まで行った場所の中で一番良かった御朱印は?」 と聞かれる。僕は考えこむ。「御朱印」という意匠自体の良さについて言っているのか、お寺全体を含めた上で良さを測るべきなのか。考えた挙句、質問文の行間を読ま…

京都記2015

身の周りの雑多な物事が一区切りを迎え、10月の上旬に京都に向かった。色々な物事を放棄し、出雲から香川、京都に至るまでの五泊六日に渡る逃避旅行から一年、長楽寺にもとりあえず一区切りついたことを報告しなければと思い、四泊五日で京都市内を巡ってき…

ホステル京都っ子 〜京都旅行記〜

身の回りのことがひと段落するごとに、京都に行くことにしている。そのたびにいつも、「格安旅行」をテーマとして旅行をしているのだが、今回3000円以下で朝食シャワー設置アメニティ(ドライヤー、シャンプー、ボディソープ、Wi-Fi、ロビーPC)使用無料とい…

自罰心と文学

不幸になりたい人はいない、というのは真っ赤な嘘だと思う。確かに生きている以上、お金が欲しいだとか、自己実現がしたいだとか、人のためになりたいとか、そういった諸々の幸せに対する前向きな欲求があることは疑いようもないが、それと同じように、人間…

いつかの原風景

去年の9月から今年の1月にかけて、かなり忙しい日々を送っていた。ゴツゴツした岩のある、流れの急な川を一直線に流れ落ちていくような気がして、終始どこか心もとなく、自分がどこに行くのかわからない心持がした。へたりこみ、身体が泥のように座席にへば…

ギャップイヤーノート

「大学は卒業するけれども、就職はしない」というと、人は二通りの反応をすることが最近分かった。一つは、キョトンとした表情をして、「何やってんだこいつは」ばりに僕を見る人、もう一つは「自分にはそれができないからうらやましい」という反応である。 …

流浪豚 ~マカオ編~

2012年7月。「自分がかつて学んだ塾で教鞭をとる」という中学校以来の夢に破れた自分は一人、行くあてもなく部屋でゴロゴロする日々を送っていた。僕は精神的退廃のあまり、扇風機に向かってアホ面で「ア~」と言い、キャッキャウフフを一人で繰り広げる閉鎖…

雨降り中華街

初めて大学の授業を受けたときのことを今でも覚えている。春特有のしっとりとした雨が降っていて、時折南風が湿った空気を運んでくる。桜はもうすでに散り始めていて、下の方の花の間から萌黄色の葉が覗いている。大学がもうすぐ終わるという時期に際して様…

緊張しない方法

僕は幼少期、よくゲロを吐く子どもだったという。三つ子の魂百までというが、それは精神論のみならず、身体にも言えることである、というのが僕の中での見解であり、その理由としては、今でも僕は一定の状況に陥ると今でも吐き戻すという体質をずっと抱え続…

出会ってしまうオリジナリティ

僕が小学生のときに流行っていたものと言えば、「ロックマンエグゼ」である。あの頃のロックマンエグゼブームは非常に熱狂的であり、「学校にゲームボーイを持ち込む」という禁則を破るやんちゃボウズが続出した。僕の通っていた小学校では帰りの会に「今日…

向こう側の人

21時の新橋をふらふらと歩く。国道の交差点の信号待ちで、ぼーっとあたりを見ながら仕事が終わった余韻に浸っていると、大手メディア企業のビルが圧倒的か高さから僕を見下ろしていることに気づいた。窓には無数の光が灯っている。ああ、中にいる人はまだ働…

海と消えた街

僕の最初の記憶は、当時大学生だったおばちゃんと、宮城の祖母の家で遊んでいた記憶である。その次の記憶は、埼玉の幼稚園で僕がガキ大将の相撲ごっこに無理やり付き合わされ、突き飛ばされてドアに頭をぶつけて泣いた記憶である。その間には実に2年くらいの…

田んぼとコンクリートビル

日本のほとんどの風景は緑に覆われた山々で、新宿が見せるような摩天楼や、軒並み連なる家々は、日本のが見せる一部の姿でしかないのではないか。そう思ったのは、僕が進路に迷いに迷いあぐね、脳みそが茹であがりそうになった大学3年の夏であった。5日間、…