言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

出会ってしまうオリジナリティ

 僕が小学生のときに流行っていたものと言えば、「ロックマンエグゼ」である。あの頃のロックマンエグゼブームは非常に熱狂的であり、「学校にゲームボーイを持ち込む」という禁則を破るやんちゃボウズが続出した。僕の通っていた小学校では帰りの会に「今日の良かったこと悪かったこと」というプログラムが組み込まれていたのだが、大概のボウズは気の強い女子に「悪かったこと」として告発され、クラスの前でさらし上げられるのがいつもの流れであった。しばらくすると、さらし上げられたボウズどもは徒党を組んで告発した女子を責めたてるわけであるが、最初は強気だった女子も最終的に弱腰になってついに泣き出し、取り巻きの女子が現れてボウズどもを先生に「A子ちゃんを泣かせた」とチクり、またボウズどもが先生に怒られるという、典型的な女尊男卑の社会が形成されていた。そのうち、ボウズの一人が持ってきたゲームボーイが忽然と消え、学年集会が開かれる・・・というところまでは、ほとんどの人が想像できるであろう。

f:id:DaYoshi6263:20141022005100j:plain

【出典:http://kakaku.com

かくいう僕は当時から流行に流されるのが嫌いなクソマセガキだったため、「ロックマンエグゼ」も「ベイブレード」もやらなかった。本当のところは喉から手のみならず、肩やらお腹やらまで出てきそうなくらい欲しかったのである。しかし、絶対やらねぇという変なプライドが僕にはあった。僕の慧眼はいち早く女尊男卑の社会構造を見抜き、気が強い女子に懐柔政策を取ることに腐心した。周りが内定式だ何だと慌ただしく盛り上がっている間に、一人相も変わらずバイトに明け暮れている今の僕は、既にその頃から形成されていたような気がしなくもない。

 

「大人だねー」だの「真面目だねー」だの、あることないことを女子から言われて承認欲求を辛うじて満たしていた僕であったが、放課後に遊ぶ男子の友達はおらず、ずっとゲームキューブスマブラばかりしていた。1日中スマブラをやり込み、イベント戦のギガクッパ軍団を真っ向勝負で打ち破った僕が得た最大の利益は、大学生の泊まり飲みにおけるスマブラ大会で負けないというものである。それだけである。ちなみに参加者は僕以外ほとんど素人である。

 

f:id:DaYoshi6263:20141022011611j:plain

 

※個人撮影

小学校の時の思い出はほとんどゲームしかない。ゲームしかしていなかった気もする。小学生ながらに、随分悶々としていたと思う。ゲームをひとしきりした後に相田みつをの詩集にハマるわけだから、余計にタチが悪いと言えるだろう。「ロックマンエグゼ」も「ベイブレード」も拒否して僕が得たものは、おそらくスマブラの技術か、「ロックマンエグゼベイブレードもやらない」という、実に陳腐なオリジナリティであった。別に後悔はしていないけれど。

 

f:id:DaYoshi6263:20141022011858j:plain

 

※個人撮影

オリジナリティ。やたら「自分の独自性を出せ」だの「自分にしかない経験を語れ」とか言われる時期があったけれど、あのときのことを思い出すと独自性って出すものだろうか・・・と、また勝手な屁理屈を並べたくなる。あるとき、大学で社会学の教授が「自分の確固たる研究テーマが早いうちから決まっているヤツは、相当な天才か、相当不幸なヤツだ」と言っていた。自分が何をしたいか決まっていることは、確かに幸せだし、見方によっては楽なのかもしれないけれど、本当にそれだけなんだろうかとも思う。やりたいことをやろうと、他人とは違う道を選択した友達にアルコールを交えながらよくよく話を聞いてみると、昔あったことを重い十字架のようにひっそりと背負っていたり、ばつが悪そうに自分のやりたいことを話したりする。

 

f:id:DaYoshi6263:20141022011958j:plain

 

※個人撮影

「私は~な人間です」とか「私は~の経験があり、・・・したいです」とか、そういう風に語られる独自性も確かに一つのオリジナリティのあり方だとは思う。でも、本当のオリジナリティってそう簡単に言い切れるものだろうかと、一緒に飲んだヤツの表情を思い出すと疑問に思ってしまう。他人と自分が違えば自然と孤独にもなるし、他人にわかってもらえないこともたくさん出てくる。オリジナリティはよく挫折や敗北と結びついていて、それらはやっぱり、胸を張ってアピールできるような代物ではない。

 

オリジナリティがないとかで悩む人もいるけど、無いなら無いなりにいいんじゃないかなぁとかぼんやり考えたりする。少なくとも、オリジナリティというのは自ら積極的に作るものではなく、出会ってしまう類のものなのかもなあと、そいつの顔を思い出す度に考える。