言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

雨降り中華街

 初めて大学の授業を受けたときのことを今でも覚えている。春特有のしっとりとした雨が降っていて、時折南風が湿った空気を運んでくる。桜はもうすでに散り始めていて、下の方の花の間から萌黄色の葉が覗いている。大学がもうすぐ終わるという時期に際して様々なことを思い返すと、社会学との出会いはかなり象徴的だったと言わざるを得ない。

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 その授業は「インド洋のマグロ」の話から始まった。その先生と会うのは初めてだったが、「こいつはヤバい」と直感的に思った。話が終始抽象的であったがそれとなく理解でき、例えば太宰治村上春樹の文体に呼び起こされる感情に特徴付けられるような「抽象的なこと言ってるけど俺はちゃんと分かってるぜ」的な独特の優越感やら、興奮を覚えさせるものであった。自己紹介シートを配られ、「なぜ君は社会学を学ぶのか」というこれまた抽象的な欄が、あたかも僕のためと言わんばかりに用意されていたので、高校時代(特に暗黒の受験期)に覚えた社会への疑問やら、東日本大震災に関する鬱々とした想いを書き殴った。教授は何やら僕にアウトサイダー的な何かを感じたようで、次の時間になると「いやー、君の名前はすぐに覚えちゃったよー」などと言い出すので、その瞬間に僕は何やらこれまでの人生になかった素敵な何かが始まる予感を禁じ得なかった。

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 数か月後。真夜中。生徒が帰った後の塾で、僕は一向に集団授業が面白くならないという理由から、「一発芸研修」なるものをやらされていた。元来僕はそういうのが特に不得手であり、「何か面白いことをやって」だのを言われると途端に身体が委縮してしまうのだった。校長、そして大学生のアルバイトの先生にじっと見られながら時間が過ぎた。青白い害虫灯が大きな虫を捕えて、バチッという炸裂音を鳴らす。夏の夜の蒸し暑い空気が、インナーをぐちゃぐちゃに湿らせる。見事なまでに、最低最悪の日々の中に僕はいた。僕はただ単に、春風に吹かれて舞い上がっていたのではないか。やっとの想いで解放されて後、午前1時の駅前の駐輪場には、真っ暗な夜の帳が降りていた。

 

 頑張り続けていれば、いつか状況は好転するだろう。そう思って、1年が経った。何を食べても味がせず、いつも霞がかかったように意識ははっきりとしなかった。一番辛かったのは自分の身体が本当に汚く思え、自分から抜け落ちた髪、脱いだ服さえ、道端に落ちた犬のフンのように汚く思えることであった。 まるで、下水の底に住まうような日々であった。

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 大学2年生のときに、池袋駅北口の中華街にフィールドワークに入った。5月のGW、ひとしきり雨の降る日であった。池袋に中華街があったことを微塵も知らなかった僕は、北口を出てからの煌々と光る中国雑貨屋に度胆を抜かれた。日本の街の隙間隙間に、全く違う文脈が流れていて、僕は畏れ多くもわくわくしながら街を歩いた。気が付いたら僕は、ビンの中に木の根っこがプカプカ浮いているという怪しげな風貌をした「高麗人参ドリンク」なるものを購入していた。案の定、すこぶるおいしくなかった。

 

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 誰にでも出会ってしまうリスクのあるものとして、「誰かの意図しない暴力」というものがある。それらは正義や指導、道徳や常識という形で人に入り込んでいくわけだが、最も、それらが一番厄介なのは、それらの行為は自分たちの客我に働きかけてくるからである。行為によって発生する過度な苦しみは、いつも風通しの悪い場所で起きる。もちろん、多少の痛みは前進のために必要なのだけれど、人を蝕み、生活さえも浸食するほどの苦しみは、いつも比較的狭い空間で起こる。自己評価が極端に低くなると、自分の見ているものや行動の範囲が狭くなるもの一つの原因かもしれない。

 

 自分の状況が切迫してくると、目の前のことしか見えなくなって、つい自分の人生が手詰まりに思えたり、時には終わりのように思えたりする。しかし、知っているつもりの街をよくよく歩いてみると、知らない場所やモノに不意に出会ったりする。ふと拍子抜けした気分になって、ひとしきりの悶着を経た後に僕はそのアルバイトを辞めたわけだが、思ったより自分の見ている世界は狭くて、実際に色々くまなく、目を凝らして見てみれば、もしかしたら自分の場所もどこかにあるのではないかと思う。

 

 とまあ、周りの大学生が旅行やらなにやら行っている間に、色々やらなくてはならなくて悶々としている今の自分へ、少し喝を送ってみる。