白豚ノート

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

ギャップイヤーノート

 「大学は卒業するけれども、就職はしない」というと、人は二通りの反応をすることが最近分かった。一つは、キョトンとした表情をして、「何やってんだこいつは」ばりに僕を見る人、もう一つは「自分にはそれができないからうらやましい」という反応である。

 

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かく言う僕はどんな日々を送っているかというと、本を読みつつ時たま思いついたように文章やらブログやらを書き、アニメを観、バイトに行き・・・などと言う生活を送っている。余談ではあるが、ラブライブのかよちんがかわいい。かよちんのかわいさは、僕が何万も駄弁を垂れるより、真っ先に世界平和に繋がると思う。ちなみにもう一つ言わせていただければ、凛ちゃんもかわいく、駄々をこねてさらにもう一つ言わせてもらえれば、μ’sの面々全員がかわいいということになる。これは仕方のないことである。

 

ギャップイヤーについてちゃんと理由を話すと、キョトンとしていた人も僕の考えに納得してくれる人が多い。これまでに僕が集めてきた非常に統計的に偏りがあるデータによれば、同年代はまずほぼ間違いなく同意してくれ、親の世代やそれ以上になるほど理解を得るのが難しくなる。

 

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 先の文章で少しだけ僕の生活の実態に触れたが、四六時中何者かに責められているような感覚を持つことも確かである。森実登美彦氏が書いた「太陽の塔」に登場する「邪眼」のように、それはときにあらぬところから自分を射抜き、責めたててくる。「しぼんだ時は、誰かが空気を入れてくれるから」という自殺予防のポスターが前に駅に貼られているのを見たが、しぼんだ自分に空気を入れるのは結局のところ、あくまで自分である。自分を終始自分自身の中に閉じ込めていく人に、右肩下がりの人生を上向きに引き上げてくれるほどの力を持った奇跡は訪れない。

 

 「自助努力」。その言葉が虚しく宙に響く。「邪眼」が登場したときの6畳間は、まるで拷問部屋のようである。自らレールを外れ、自分のやりたいことに向かう道は確かに行動力があり、勇ましく、尊厳に満ちているように思える。しかし、その内情は常に自身の怠惰との戦いであり、失敗の連続であり、鉛のように重い腰を上げる動作の連続である。絶望する理由は五万とあるが、希望を信じ続けるに足る理由は数える程もなく、しかも。やりたいことというのはいわば十字架のようなものであり、できれば路肩に打ち捨てていきたい類のものである。レールから外れた道に進み、成功した人の言説が世の中に跋扈しているが、事実、その華々しい金字塔の根本には、死屍累々たる敗北の山が存在することを忘れてはならない。

 

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決して行動力があるわけではない。せっぱ詰って叫んだ結果の選択であったように思う。社会の中に既に存在する文脈に自分のやりたいことを重ね合わせ、そこで頑張ろうとすることの方も申し分ないくらいに素晴らしいし、そちらの方が良いとも思う。でも、周りに気を取られていい加減に自分のやりたいことをこさえたり、十分な試行錯誤もないままに決断を下し、その環境に怠惰から居ついてしまうのは避けるべきだとも思う。結局何が正解かはわからないのだけれど、よれよれのリクルートスーツを着て数か月間でも都内を駆け回ったことから得た教示は、いつかは必ず自分の生きる場所を据え、選択をしなくてはならないということだった。一つの決断や選択から、自分の人生は無限にも分化していくような錯覚を覚えるが、切り捨てるべきものを切り捨てていかなければ、いつまでも末広がりのまま、それこそ死ぬまでの暇つぶしとしての人生しか送れないような気がした。それにはある一定の試行錯誤による仮説検証が必要で、そのために他人と違うリズムで動くことも、時には必要なのではないかと思う。