言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

他者と自己への意識について

 人に今以上の労力を出させようとする文句――たとえば、「俺が若い頃は~」等の若手をたしなめる文言――が横行し、正当的な効力を持つような場においては、下手をすると過剰なほどに人的労力の拠出を要請し、電通の自殺事件のような労働問題に発展する。管理の厳重化や抜き打ち監査でどうなるというわけではなく、一番の問題はそのような文句がまかり通る場が放置され、また働いている従業員に内在していることである。よって、究極的に労働問題を解決するためには、そもそも個人が意識の面から変わらなくてはならない。

 人が拠出できる労働力には、当然ながら限界がある。そして、その限界は人によってまちまちであり、さらに日によってその限界は増減する。体調的な問題もあれば、精神的な問題によって、人がその時に拠出できる最大労働量は変化する。問題は、常に他者に最大労働量の拠出を求めることに存しており、翻って常に社会に最大労働量を求める消費者にも存しているといえる。

 他者は完全に理解しえない存在である一方、自己は自己の最大の観察者である。しかし、「わかった気で」他者に接してしまう厚かましさや自己を省みる意識の流れのないところに、現今の非効率性が存在している。自分と他者は同じような存在で、自分と同じような考えを持たせれば、自分と同じように他人も動くと思う傲慢さから、社会の不利益が生まれ、息苦しさや閉塞感が増していく。

 特に自己に向けるべき言説を、他者に向けたときに、多くの問題は発生する。つまり、自己統治の原則を、他者統治にそのまま使っていることが問題である。しかしながら、今後自分がそのような傲慢さにかまけ、誰かを知らないうちに犯していくとも限らない。よって、統治に関わる規則を以下のように定める。

 

一般規則

他者に向けるべき規則。人には原則として好意的に接する。過失責任は重度でない限り、自己限界の原則に基づいて、不問とする。

自己規則

自己に向けるべき規則。自己は厳しく統制し、絶えず批判の内にさらす。困難に遭った場合は基本的に自己解決を試み、それが不可能になった場合(あるいは不可能が予測される場合)は、すみやかに人にわかる形式で助けを請う。過失責任は自己の認識不足・行動不足にあり、絶えず自己開示と情報収集に努める。

 

・一般規則と自己規則

 一般規則は自己以外の他者に一般的に適応される規則であり、自己における他者統治に関わるルールである。対して自己規則は、自己に対して適応される規則であり、自己における自己統治に関わるルールである。

 両者の領分が混濁し、入り混じるところに怠惰や不信が発生する。生活の上では両者を注意深く峻別し、適当な他者統治、自己統治に努めなければならない。

 

自己限界の原則について

 自分の認識には限界があり、すべてを知ることはできないとの原則を定める。他者のことをすべて理解することはできず、背後にある心理的事情に立ち入るべきではない。他者の心理的事情は原則として善性に基づいて推定し、その悪意を疑うべきでない。

※金銭取引等、契約の発生する場合においては、この限りではない。