慕情の根
人を想うには、エネルギーが要る。強く想えば想うほど、想いをより遠くへ届けようと願うほど、「想い」は自らの中にも食い込み、内側から身体を締め付けていく。草木が上へ、上へと伸びようとすれば、それと同じだけ地中に根を深く這わせなければいけないように、「想い」の根は心の深くまで伸び入り、あらぬ痛みや孤独を連れてくる。それでも、一輪の可憐な花が咲くように、それを誰かに見てほしいと思ってしまうところに、慕情の苦しみがある。
【京都・貴船】
人を想うことは苦しい。多くの場合、人を想うことは「徒労」に終わる。慕情を大切に育てたとしても、その人が受け取ってくれなければ、自らの手で摘み取るしかない。水をやり、肥料をやり、雨風から守り、いつかその人に見てほしいと思っても、必ずしも相手にとってありがたいものではなく、時に「有難迷惑」でさえあるかもしれない。努力が報われないこと以上に、慕情がめぐり合うことはそうはない。慕情は人の心の奥深く、見えないところで育つ繊細な植物であるから、人知れず消えるものの方が多いだろう。
【京都・長楽寺】
行き場を失った慕情は、土に還る――しかし、姿形は見えなくなるけれども、慕情は消えるわけではない。たとえ無下になったとしても、慕情は根を這わせた、その人自身へと還る。そして、前より少しだけ柔らかくなった土に、またいずれ次の慕情が宿るだろう。相手に届くかはわからないけれども、自ら育てた大切な慕情は、その土の豊かな養分となり、そこに、きっとまた新しい「種」が落とされる日が来る。
【京都・貴船神社】
慕情に、誰かの影をみることがある。それは、人の心の中にも小さな輪廻の輪があることの証左である。「種」から小さな想いが芽生えたとき、傷つく恐れからそれを摘み取るのではなく、傷つきつつも人を想えと、どこからともない土の声を聴く。