言の笹舟

何となく考えたことを、写真と共に垂れ流すブログ。

京都記2015

 身の周りの雑多な物事が一区切りを迎え、10月の上旬に京都に向かった。色々な物事を放棄し、出雲から香川、京都に至るまでの五泊六日に渡る逃避旅行から一年、長楽寺にもとりあえず一区切りついたことを報告しなければと思い、四泊五日で京都市内を巡ってきた。「なんで京都にそんな行くの?」とか言われ、その度にいつも煙に巻くような発言をしているのももどかしいので、キーボードを叩くことにする。

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【京都駅】

 バイト先の人から「何かあるとすぐ京都に行く」と揶揄される。たまに一人旅の話をしていて「うらやましい」と言われるが(確かにかなり贅沢な話ではある)、そこまで一人旅にきれいなイメージを自分が持っているわけではない。どこかに行くとしたら確実に気心の知れた人と行く方が楽しいし、やはり知らない土地で一人というのは、ふとした瞬間に染み入るような寂しさを感じたりもする。

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糺の森

 格安貧乏旅行をテーマとしており、「いくら金を使わずにいい経験ができるか」を主眼に置いている。腹が減れば当然イライラする。夜行バスに乗って移動した次の日は何もする気が起きない。服は着回し、タオルは何回も使う。適当に地下鉄に乗って座席に座り、駅の名前や電車の掲示物を見たりうとうとしたりしているうちに、太秦天神川から六地蔵までをバウンド輸送されていることもある。いやいや、それなら金使えよ、という話でもあるのだが、別にそこまでして金を使いたくはない。別に快適でなくてもお寺は回れるし、最低限の金があればある程度の範囲を好きに回ることができる。

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南禅寺水路閣】 

 事前に予定を立てる旅行もいいが、まったく予定を立てないでフラフラと散策する旅行もいい。いつもはガチガチに予定を組んで西日本を飛び回る旅行をしているが、今回は成り行きにまかせてほっつき歩いた。気になる小道があればそこに入り、いい場所があったら入り浸る。1日起きたときに、なんとなくどこへ行くか考える。バスに乗ったり、お寺でボーっとしている間に、考えたいことや、考えなければならないことを考える。「5分以上の思考は大した意味を成さない」というのは日々の経験則だが、田んぼの脇の小さな用水路の流れを眺めるときみたいに、このときとばかりにボーっと時間を浪費する。身の周りの些細なこととか、集団的自衛権赤字国債のことを考える。「日本は沈没するから、はやく海外に移住するのがいい」とかいう人もいるけど、実際自分は日本人だし、お寺や神社が好きだし、福島のことを考えるとそう簡単に故郷を捨てられないよなーとか思ったりする。政治的なことも考えるが、決して実利的ではない。ひとりでぼんやり考えることなど、所詮たかが知れている。

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神泉苑

  Googleマップを見て、近場のよさそうな場所を見つけて、実際にいく。そうすると、ガイドブックでは端の方にしか出ていない、きれいな場所に出会うこともある。拝観料は無料で、夜になると証明がつくなど、ホスピタリティの鬼だったのが上の【神泉苑】である。決して境内は広いわけではないが、ライトアップもあって昼と夜でまったく違う趣きがある。

 逆に、行ってみて後悔することもある。思い込みや勘違いなどの情報不足から、自分が思い描いていた景色と出会えないことも多々あった。無名なのにいいところもあれば、有名なのにあまりピンと来ないた場所もあった。嵯峨野の竹林がライトアップ期間外で、ただの蛍光灯の白い明かりに照らされていたときはひとりで白目を剥いた。

 ひとつの旅の中で思いがけない失敗と成功を繰り返す。「セレンディピティ」という言葉がフワフワと頭に浮かぶ。

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大徳寺高桐院】

 自分が思い描いていた予定調和を外れていく。「効率性」という言葉に歯向かうように行動していく。確かな四季の流れがあり、水の流れや鳥のさえずる音があり、時間がゆっくり進んでいく。そういうものをしっかりと感じ続けるのにも、人間にはエネルギーが必要だ。働いて働いて働き疲れて、一番最初に奪われたのは「季節の感覚」だった。春に咲く花も、夏の夕立のにおいも、秋に色づく紅葉も、冬の雪景色も、本当にせわしなく流れる日々の中では何も意味をなさなかった。「そんなものに構っている暇などない」という思いは、人間の感覚を死滅させていく。最低限の自分の感覚さえ保てないような場所は、ゆっくりと、しかし確かに増え続けている気がする。

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 【長楽寺】

 1年前にも行った場所に立ち、自分がどう変わったのかを確かめる。去年と同じことを願っている自分に出会うこともあれば、少しだけ前に進めた自分を発見できることもある。今の自分は何を考えているのか?どういう方向に進んでいるのか?距離的に遠い場所で、心理的に近い人のことを考えてみるのはどうか?その試みは際限がなく、そして楽しい。もちろん、100%楽しいわけではない。健康的な幸せとは、「幸福偏差値52」くらいの幸せである。

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木屋町

 染み入るような寂しさも、腹が減る苛立ちも、去年と変わらない自分への焦りも、ひとりでなければ看過してしてしまうことばかりだ。一人旅は、周りと自分の位置関係を確かめさせてくれる。

 まあでも、そろそろ友達と行った方が健康的かなという気もしなくもない。錦市場で食べ歩き、木屋町や烏丸四条の飲み屋で飲んだくれるのだ。本当、木屋町神泉苑はおすすめだから、今度京都に行く人はぜひ行ってみて。

ホステル京都っ子 〜京都旅行記〜

身の回りのことがひと段落するごとに、京都に行くことにしている。そのたびにいつも、「格安旅行」をテーマとして旅行をしているのだが、今回3000円以下で朝食シャワー設置アメニティ(ドライヤー、シャンプー、ボディソープ、Wi-Fi、ロビーPC)使用無料というところを見つけたので紹介しようと思う。


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今回泊まったのは「ホステル京都っ子」。堀川丸太町の一角に位置し、近くにコンビニ、スーパー、バス停(市バス堀川丸太町)がある。これまで京都駅からどれくらい近いかでユースホステルを選んできたが、バス等を使えば十分に旅行には差し支えない。宿で自転車を貸りることもでき(ギアなし500円)、目の前の通りを走れば京都御所や東山の方にも出ることができる。
 
旅行中は極力金を使わず、夜に節約したお金を存分に使って飲んだくれるというのが僕の旅のスタイルである。そういう旅のスタイルを取りたい人にとって、食パンやサラダ、オレンジジュースを無料で食べられるのは本当に大きい。これまで格安を極めようとして、漫喫のフラット席等を中心に利用して旅行をし、牛丼屋などで適当に腹を紛らわすご飯を食べてきたが、ちゃんと野菜も食べることができるというのは本当に嬉しかった。
 
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そして、なんと言っても安いのである。ブログなどでの紹介をすれば、1600円で宿泊することができる。圧倒的に漫喫よりもお得である。フラットシートでくの字に曲がって寝ている自分がアホ臭くなってしまうほどであった。
 
旅行中にダラダラ紀行文を書くのが趣味なのだが、観光の後にロビーで紅茶を飲みながら作業をできるのがありがたかった。毎年一回京都近辺に旅行をし、生活の質を極力落としてその分観光地を巡り、酒を飲み、写真を撮っているが、今回の旅行ほど衣食住の質を落とさずに旅行できたことはなかったと思う。
 
詳しくは下記のリンクから。

自罰心と文学

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不幸になりたい人はいない、というのは真っ赤な嘘だと思う。確かに生きている以上、お金が欲しいだとか、自己実現がしたいだとか、人のためになりたいとか、そういった諸々の幸せに対する前向きな欲求があることは疑いようもないが、それと同じように、人間は幸せと同じくらい、時に不幸を欲するものであるとも思う。

社会学から鞍替えをして、せっせと文学理論やら文学史やらを勉強していると、社会学以上に様々な人と紙面の上で出会う。社会学には、方法論的個人主義などの個別具体的な視点から出発して理論を練り上げていくというような考え方こそあるものの、深い個人の理解というものはあくまで「精度の高い共通項の抽出」のために成される。文芸においては、表現というところに重点を置くため、人を引き付けるための理論の素みたいなものは絶対的に必要ではない。架空であれ実在であれ、人と出会うことは自分と出会うことであり、表現の目的というのは作者にとって「深い自分に出会ってもらうこと」であると同時に、「読者自身が深い自分に出会うこと」を喚起するものでもあると思う。


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例えば太宰治は、典型的な「破滅型」の私小説を書いた作家として有名である。数々の愛人を作り、自殺未遂をし、服薬し、最終的に玉川上水で自殺をするという文学的偉人であるが、いってしまえば人間的にはどうしようもない方である。知り合いに太宰治がいれば、だらだらと交際を続けて一緒にカルチモンを飲む程の間柄になるか、「そういえば中学校のときクラスにいたかもてかそういえば俺2年のときクラス一緒だったわ」的な付き合いになるかのどちらかであろうと推察する。しかし、彼が文学的偉人として今日も太宰の小説が読まれ続けるという事実は、おそらく太宰が人間が持つ不幸への欲求に命がけで向き合った結果であろう。


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何とはなしに歩いていると、たまに昔あった嫌なことを思い出して、なんだかまっすぐ前を向いて歩けないような、下半身の力がひゅるりと抜けていくような気分になることがある。もっとひどい場合は無意識の深海に記憶が沈められ、例えば早朝たまにみる悪夢のように、意図せずに自分を縛り付けてくる(もっとも、それさえ推測である)ものもある。そのような後ろめたさからゆっくりと立ち上がる自罰心というのは、どうしようもなく人を絡め取り、幸せから自分を遠ざけていく。

そのような圧力から逃れ出るためには、一体どうすればよいのだろうか。ウジウジしてるんじゃねぇ!などと一蹴する輩には、およそ文学は不要である。水平に投げ放った物体が落ちていくのと同様に、人間も惰性に従えば落ちゆくものであって、特に自罰心というのは、怠惰や甘えの吹き溜まりとなりやすい。不幸とは、時に入っていて気持ちのいいぬるま湯のようなものである。自分が不幸であれば、幸せが雲散霧消することを恐れることなく、何も求めさえしない限り、ずっとそこに安住することができる。


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重荷のような思い出を抱えながら、一歩一歩進む。自罰心に自分を乗っ取られないように、常に動向をうかがいながら、挑戦と行動を繰り返す。亀の歩みのように、よろよろと自らの重みに揺らぎながら。それでも、何の後悔する思い出を持たないより、現状から外へ出られなくなるより、苦痛にまみれる自分の方がより自由なのだと言い聞かせる。太宰の文章が心を打つのは、自罰心にまみれながらも、そこに真理を少しでも見いだそうとした点にある気がする。


いつかの原風景

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 去年の9月から今年の1月にかけて、かなり忙しい日々を送っていた。ゴツゴツした岩のある、流れの急な川を一直線に流れ落ちていくような気がして、終始どこか心もとなく、自分がどこに行くのかわからない心持がした。へたりこみ、身体が泥のように座席にへばりつく丸の内線の車内で、ふと西日本を旅したときのことを思い出した。雨模様の空から一筋の光の束が差し込み、木々の間を抜けてその社が照らされた瞬間。なんでもない電車内の景色。漫画喫茶で心細く寝た夜。身体の力が抜けると、そのときのことが急に思い出されて、なんだかむずむずしたような気持ちになることがある。

 

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 上の写真は、伊勢神宮内宮の駐車場の奥にある饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)である。僕が伊勢を訪問したときは夏の終わりということもあって、紀伊半島に台風周辺の雲がかかり、雨が降ったり止んだりしていた。この写真は雲の切れ間から陽が差し、社が輝いている様子である。一瞬の光景だったが、随分と長い時間のことのように感じられた。

 

 記憶はどんどんふるいにかけられ、忘れ去っていく。しかし、特に覚えておこうとか、忘れないでいようとは思わなかったのに、強烈な感情を伴って残り続ける景色がある。そこには当時自分が感じた情緒やらにおいやらが染みついていて、折に触れて不意に湧きあがる。夕立の後の雨上がりのにおいや、肌で感じる風の温かさ。遠い日の風景に、センチメンタルを感じたり懐かしく思ったりする。そしてそのような景色は、忙しく日々の細かいことに振り回されていると、ついどこかへ、簡単に置き去りにしてしまうような気がする。そして、それらの景色はどこか強烈な世界観を持っていたり、色濃い感覚と共に脳裏にこびりついていたりする。

 

 小説や音楽を聴いていると、一節の言い回しやフレーズに強烈に引き込まれることがある。僕の好きな「くるり」の『ばらの花』はその典型で、イントロのピアノの音が物憂げな雨の様子を映し出し、宙ぶらりんな歌詞が、雨というごく小さな障壁に阻まれてどこにも行くことができない物憂げな雰囲気を作り出しているように感じる。ある番組によれば、くるりのボーカルである岸田さんが、雨模様の日に神社で歌詞の着想を得たという。

 


くるり - ばらの花 - YouTube

 

 窓から西日が差す昔の家や夏休みのラジオ体操、雨が降りしきるアスファルトの街並みや、下校のチャイムがなる冬の帰り道。ほんのふとした風景の中に、自分のふとした感情や世界観が宿ることがある。誰かにその光景を見せてあげたいと思っても、その光景は当時の自分の状態に色濃く結びつき、伝達はなかなか難しい。そういった言葉で伝わらない孤独を乗り越えるために作られたのが文学の修辞法などの一連のテクニックであり、美術における画法であり、音楽におけるところの旋律であり、つまり芸術なのではないかとも思う。

 


宿はなし - YouTube

 

 夜空に向かって伸びる、トランペットとアコースティックギターの音。誰かの心の中に住まいつづけた原風景は、また誰かの原風景を生む。難しいことは抜きにして、なんだかそういうのは素敵だなあと思う。

 

 参照:NHKグレーテルのかまどくるり・岸田談

ギャップイヤーノート

 「大学は卒業するけれども、就職はしない」というと、人は二通りの反応をすることが最近分かった。一つは、キョトンとした表情をして、「何やってんだこいつは」ばりに僕を見る人、もう一つは「自分にはそれができないからうらやましい」という反応である。

 

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かく言う僕はどんな日々を送っているかというと、本を読みつつ時たま思いついたように文章やらブログやらを書き、アニメを観、バイトに行き・・・などと言う生活を送っている。余談ではあるが、ラブライブのかよちんがかわいい。かよちんのかわいさは、僕が何万も駄弁を垂れるより、真っ先に世界平和に繋がると思う。ちなみにもう一つ言わせていただければ、凛ちゃんもかわいく、駄々をこねてさらにもう一つ言わせてもらえれば、μ’sの面々全員がかわいいということになる。これは仕方のないことである。

 

ギャップイヤーについてちゃんと理由を話すと、キョトンとしていた人も僕の考えに納得してくれる人が多い。これまでに僕が集めてきた非常に統計的に偏りがあるデータによれば、同年代はまずほぼ間違いなく同意してくれ、親の世代やそれ以上になるほど理解を得るのが難しくなる。

 

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 先の文章で少しだけ僕の生活の実態に触れたが、四六時中何者かに責められているような感覚を持つことも確かである。森実登美彦氏が書いた「太陽の塔」に登場する「邪眼」のように、それはときにあらぬところから自分を射抜き、責めたててくる。「しぼんだ時は、誰かが空気を入れてくれるから」という自殺予防のポスターが前に駅に貼られているのを見たが、しぼんだ自分に空気を入れるのは結局のところ、あくまで自分である。自分を終始自分自身の中に閉じ込めていく人に、右肩下がりの人生を上向きに引き上げてくれるほどの力を持った奇跡は訪れない。

 

 「自助努力」。その言葉が虚しく宙に響く。「邪眼」が登場したときの6畳間は、まるで拷問部屋のようである。自らレールを外れ、自分のやりたいことに向かう道は確かに行動力があり、勇ましく、尊厳に満ちているように思える。しかし、その内情は常に自身の怠惰との戦いであり、失敗の連続であり、鉛のように重い腰を上げる動作の連続である。絶望する理由は五万とあるが、希望を信じ続けるに足る理由は数える程もなく、しかも。やりたいことというのはいわば十字架のようなものであり、できれば路肩に打ち捨てていきたい類のものである。レールから外れた道に進み、成功した人の言説が世の中に跋扈しているが、事実、その華々しい金字塔の根本には、死屍累々たる敗北の山が存在することを忘れてはならない。

 

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決して行動力があるわけではない。せっぱ詰って叫んだ結果の選択であったように思う。社会の中に既に存在する文脈に自分のやりたいことを重ね合わせ、そこで頑張ろうとすることの方も申し分ないくらいに素晴らしいし、そちらの方が良いとも思う。でも、周りに気を取られていい加減に自分のやりたいことをこさえたり、十分な試行錯誤もないままに決断を下し、その環境に怠惰から居ついてしまうのは避けるべきだとも思う。結局何が正解かはわからないのだけれど、よれよれのリクルートスーツを着て数か月間でも都内を駆け回ったことから得た教示は、いつかは必ず自分の生きる場所を据え、選択をしなくてはならないということだった。一つの決断や選択から、自分の人生は無限にも分化していくような錯覚を覚えるが、切り捨てるべきものを切り捨てていかなければ、いつまでも末広がりのまま、それこそ死ぬまでの暇つぶしとしての人生しか送れないような気がした。それにはある一定の試行錯誤による仮説検証が必要で、そのために他人と違うリズムで動くことも、時には必要なのではないかと思う。

 

流浪豚 ~マカオ編~

 2012年7月。「自分がかつて学んだ塾で教鞭をとる」という中学校以来の夢に破れた自分は一人、行くあてもなく部屋でゴロゴロする日々を送っていた。僕は精神的退廃のあまり、扇風機に向かってアホ面で「ア~」と言い、キャッキャウフフを一人で繰り広げる閉鎖病棟顔負けの廃人と化していた。八国山緑地を走り回ったり、井之頭公園に行ってバカップル見物をして勝手に汗をかいて苦しんでいるうちに、「お前、これはさすがに腐れ大学生と言えどアカン」と、わずかながらの良心が警鐘をならすのであった。

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 気がつくと僕はマカオにいた。いや、順を追って説明すると、貯まった貯金を使い果たして海外に行き、何やら刺激を受ければ、何やらいいことが起こるかもしれないという極めて安直な理由から、僕はパスポートを取りにいった。さらに、ヨーロッパに行きたいと目論んでいた僕は、当初ヴェネツィアなどを周遊しようと考えていたのであるが、あまりに旅費が高すぎたために、なぜか「ヨーロッパのどっかの植民地だったところに行こう」という発想に至った。付け加えて、社会学かぶれだった僕は「日本と言う文化圏をまるっきり切り離して海外に行ったらどうなるんだろう」という着想を得、携帯の海外ローミングサービスを使わず、まったく携帯が使えない状態で成田空港からマカオへと飛び立った。

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 正気に戻ったころには既に遅かった。タクシーのおっちゃんに「ここに行ってくれ」と地図を見せて頼んだものの、老眼で地図が見えなかったらしく、苦笑いをされて終わった。たどたどしく英語で説明するも、マカオは広東語圏であるため、英語も通じない。仕方なく、ホテルから少し距離のあるマカオの中心地だった「セナド広場」になんとか降ろしてもらうことに成功した。地図を頼りに歩くも気が付くと海についており、そのまま迷い続けて2時間が経った。時折黒塗りの車が走り去るのを見て、「俺はマカオで博打売ってるギャングに拉致られ、南シナ海に沈められるのではないか」という虚妄が膨れ上がり、「絶対負けねぇ」などとブツブツ言いながら、半ベソでマカオの街を歩いていた。グランドリスボアの蓮の形をしたビルを目印に正しい道を見つけ、なんとかホテルにたどり着いたころには2時間が経過していた。ホテルの近くにあったゼブンでスミノフやらビールやらと適当な菓子を買い、ホテルでべろんべろんに酔っ払った。気が付くと、僕はダブルベッドの上で飛び跳ねている内に寝ていた。注意しておくが、ダブルベッドといっても一人であることに留意されたい。

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 翌日、マカオの世界遺産めぐりをした。セナド広場や友誼大馬路という大通りを中心として、歩ける場所が次第に増えていった。同時に、どこの通りがどこに繋がっているか、どの方向に行くとセナド広場かということがわかるようになった。マカオはかつてポルトガルに占領されていた場所で、観光地化された場所はヨーロッパ、それ以外の場所は中国というような街の作りをしていた。ビルにはフジツボのように室外機が取り付けられ、時折室外機の水が垂れてきた。7パタカ(70円)のエッグタルトは美味しく、水を得た魚のようにマカオの街を駆け巡った。

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 日本だと知らない土地に行く際にいつもGoogleマップを利用するのであるが、GPSを切って異国の地で自分を追い込みに行ったのは良かったと思う。自分が通った場所から枝葉が伸びるように、知らない場所が知っている場所になっていくという過程は非常に面白いものである。ぜひ一度、異国の地で自分を追い込んでみることをお勧めする。案外人間はどこでも生きていけるものだなあと、短い滞在ながらに思った次第である。

雨降り中華街

 初めて大学の授業を受けたときのことを今でも覚えている。春特有のしっとりとした雨が降っていて、時折南風が湿った空気を運んでくる。桜はもうすでに散り始めていて、下の方の花の間から萌黄色の葉が覗いている。大学がもうすぐ終わるという時期に際して様々なことを思い返すと、社会学との出会いはかなり象徴的だったと言わざるを得ない。

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 その授業は「インド洋のマグロ」の話から始まった。その先生と会うのは初めてだったが、「こいつはヤバい」と直感的に思った。話が終始抽象的であったがそれとなく理解でき、例えば太宰治村上春樹の文体に呼び起こされる感情に特徴付けられるような「抽象的なこと言ってるけど俺はちゃんと分かってるぜ」的な独特の優越感やら、興奮を覚えさせるものであった。自己紹介シートを配られ、「なぜ君は社会学を学ぶのか」というこれまた抽象的な欄が、あたかも僕のためと言わんばかりに用意されていたので、高校時代(特に暗黒の受験期)に覚えた社会への疑問やら、東日本大震災に関する鬱々とした想いを書き殴った。教授は何やら僕にアウトサイダー的な何かを感じたようで、次の時間になると「いやー、君の名前はすぐに覚えちゃったよー」などと言い出すので、その瞬間に僕は何やらこれまでの人生になかった素敵な何かが始まる予感を禁じ得なかった。

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 数か月後。真夜中。生徒が帰った後の塾で、僕は一向に集団授業が面白くならないという理由から、「一発芸研修」なるものをやらされていた。元来僕はそういうのが特に不得手であり、「何か面白いことをやって」だのを言われると途端に身体が委縮してしまうのだった。校長、そして大学生のアルバイトの先生にじっと見られながら時間が過ぎた。青白い害虫灯が大きな虫を捕えて、バチッという炸裂音を鳴らす。夏の夜の蒸し暑い空気が、インナーをぐちゃぐちゃに湿らせる。見事なまでに、最低最悪の日々の中に僕はいた。僕はただ単に、春風に吹かれて舞い上がっていたのではないか。やっとの想いで解放されて後、午前1時の駅前の駐輪場には、真っ暗な夜の帳が降りていた。

 

 頑張り続けていれば、いつか状況は好転するだろう。そう思って、1年が経った。何を食べても味がせず、いつも霞がかかったように意識ははっきりとしなかった。一番辛かったのは自分の身体が本当に汚く思え、自分から抜け落ちた髪、脱いだ服さえ、道端に落ちた犬のフンのように汚く思えることであった。 まるで、下水の底に住まうような日々であった。

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 大学2年生のときに、池袋駅北口の中華街にフィールドワークに入った。5月のGW、ひとしきり雨の降る日であった。池袋に中華街があったことを微塵も知らなかった僕は、北口を出てからの煌々と光る中国雑貨屋に度胆を抜かれた。日本の街の隙間隙間に、全く違う文脈が流れていて、僕は畏れ多くもわくわくしながら街を歩いた。気が付いたら僕は、ビンの中に木の根っこがプカプカ浮いているという怪しげな風貌をした「高麗人参ドリンク」なるものを購入していた。案の定、すこぶるおいしくなかった。

 

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 誰にでも出会ってしまうリスクのあるものとして、「誰かの意図しない暴力」というものがある。それらは正義や指導、道徳や常識という形で人に入り込んでいくわけだが、最も、それらが一番厄介なのは、それらの行為は自分たちの客我に働きかけてくるからである。行為によって発生する過度な苦しみは、いつも風通しの悪い場所で起きる。もちろん、多少の痛みは前進のために必要なのだけれど、人を蝕み、生活さえも浸食するほどの苦しみは、いつも比較的狭い空間で起こる。自己評価が極端に低くなると、自分の見ているものや行動の範囲が狭くなるもの一つの原因かもしれない。

 

 自分の状況が切迫してくると、目の前のことしか見えなくなって、つい自分の人生が手詰まりに思えたり、時には終わりのように思えたりする。しかし、知っているつもりの街をよくよく歩いてみると、知らない場所やモノに不意に出会ったりする。ふと拍子抜けした気分になって、ひとしきりの悶着を経た後に僕はそのアルバイトを辞めたわけだが、思ったより自分の見ている世界は狭くて、実際に色々くまなく、目を凝らして見てみれば、もしかしたら自分の場所もどこかにあるのではないかと思う。

 

 とまあ、周りの大学生が旅行やらなにやら行っている間に、色々やらなくてはならなくて悶々としている今の自分へ、少し喝を送ってみる。